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「さらば、わが愛/覇王別姫」京劇の世界を通した中国近代史

チェン・カイコー監督「さらば、わが愛 覇王別姫」

 

チェン・カイコー監督の「さらば、わが愛  覇王別姫」を観ました。

評価の高い割に、レンタルでは出回っていないようなんですよね。

いつか観たいと思いながら今日まできてしまったのですが、先日始まったNetflixの映画リストの中に見つけた時はうれしかったです。

 

中国の伝統芸能、京劇*1の演目である覇王別姫と、それを演じる二人の役者の激動の半生。

「覇王別姫」は楚王項羽と漢王劉邦の戦い*2において、垓下の地で大軍に囲まれた項羽が最後を悟った時、足手まといになることを憂いた虞姫(虞美人)が自ら死を選ぶ別れの悲劇。

四面楚歌や虞美人草の言葉が生まれた出来事です。

 

あらすじ

1925年、北京。娼婦の母親に連れられ、孤児や貧民の子供たちが集まる京劇の養成所に入った9歳の少年・小豆子。新入りの小豆子は他の子供たちからいじめられたが、彼を弟のようにかばったのは小石頭だけだった。2人は成長し、女性的な小豆子は女役に、男性的な小石頭は男役に決められる。小豆子は「女になれ」と老師爺(黄斐)に躾られ、数え切れないほど殴られた。彼らは演技に磨きをかけ、小石頭は段小楼(張豊毅)、小豆子は程蝶衣(張國栄)と芸名を改め、京劇『覇王別姫』のコンビとして人気を博す。 (Movie Walker)

予告編動画


farewell to my concubine trailer - YouTube

監督:チェン・カイコー(陳凱歌)

原作:リー・ピクワー(李碧華)「さらば、わが愛 - 覇王別姫」

出演:レスリー・チャン(張国栄)

   コン・リー(鞏俐)

   チャン・フォンイー(張豊毅)

小豆子と小石頭

1920年代の北京、人混みの中を急ぐ二人の親子。

足を止めた先には人だかりがあって、京劇の出し物をやっていました。

子供の目を引いたのは劇団員の一人が余興で見せた、頭でのレンガ割り。

小石頭こと段小楼と、小豆子こと程蝶衣の出会いの場面です。

都ではクーデターが起こり、清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀(宣統帝*3)が紫禁城を追われた時代。

 

この後、親子は劇団を率いていた関座長のもとを訪れ、入団を乞うわけですが、いくつかのサイトのレビューや解説を読んでみると、どれも一様に親に捨てられたと書いてあります。

持て余したとか貧しさのための口減らしとか。

でも実際観てみると、どうもそうは見えないんですよ。

結果だけをみると、一度は断られながらも子供の指を切り落としてまで入門させ去っていきます。壮絶ですね。

 

まずこの母親は遊郭の女性です。

子供は目元以外を隠しています。なぜか。

関座長の前で明らかになりますが、この子は女の子にしか見えないんです。

この歳まで女の子として育てられたんでしょう。

遊郭で生まれた男の子がどういう運命をたどるのか。

少なくとも母親は外見上女の子として育てました。

おそらくこの子を育てるためにはそれが必要だった。

しかし、男の子であることを隠すには限界を感じる年齢に差し掛かっています。

(幼少期に女装させる風習もあるにはあります。) 

 

そしてもう一つ問題がありました。

この子の左手の指は6本。多指症*4ですね。

関座長もこれを理由に一度断りました。「役者には向かない。それに、客がみたら逃げ出すよ」と。

 

親子がやってくるとき、表の路地では刃物研ぎの呼び込みがあったんですね。

こわいですね。

指一本を失うのと、命を失うのと、どちらを選ぶべきか。

理屈ではわかってもなかなか思いきれるものではないですが、母は強かった。

小豆もその強さを受け継いでいます。

 

京劇を見物する場面、別れの場面、母親が小豆に対して愛情を持っていることは十分に伝わってきます。

もう手元には置いておけないけれど、最後に自分の力で生きていける環境を与えようとする。これも母の愛でしょうね。

この点、原作ではそういう描写がされているのですが、映画では後に登場する菊仙との対比のために薄められているようです。

 

入団した当初は他の子供たちから淫売の子とからかわれるのですが、母から与えられた服を火の中に投じ黙らせるような強さを持っていました。

劇団の子供たちのリーダー格である小石頭はそんな新入の小豆を庇い、常に気をかけてくれます。

小豆も小石頭に心を許し兄弟子として慕うようになります。

女形として

少年時代の小豆は、女形として修業に励みますが、役には入りきれずにいます。

女形の習熟度の基準にもなるという「思凡」のセリフ、「女として生まれ」がどうしても言えない。

女形を演じてはいても自分は男であるからです。

普通は役として割り切ってしまうものでしょうが、小豆(後の蝶衣)は舞台と現実の区別がつかない境地にあると言われ、虞姫を体現する生き方をした人物です。

この頃はその一歩手前にいたわけですね。

 

そんな小豆が役者として開眼するきっかけが二つありました。

 

一つ目は、お調子者の小癩と劇団を抜け出した先で観た人気俳優の演じる覇王別姫の舞台。

厳しい修行に耐えかねたちょっとした出来心。

舞台を観た二人は涙を流しながら、

「彼は名優になるまでどれだけ殴られてきたんだろう。どんなに殴られてもいい、あんな役者になりたい。」

と誓います。

二つ目は清朝時代の宦官で街の有力者の一人、張翁の屋敷で京劇が催されることになった時。

役者の選定にあたったのは、かつて覇王別姫の舞台を観た劇場のオーナーでした。

選ばれれば名誉であることと、子供たちに新年の晴着を買ってやれると関座長は媚びますが、オーナーは「張翁は西太后のお供で京劇をご覧になった方だ、失敗すれば私は面目丸潰れ、お前は投獄されるかもだ」と返します。

 

そんな中、小豆の姿がオーナーの目に止まりますが、「思凡」のセリフでまたも間違えてしまうのです。

機嫌を損ねかけたオーナーの前で立ち上がったのは小石頭。

「師匠に恥をかかせたな。そんな口はこうしてやる。」

煙管を口に突っ込みます。

オーナーがこのまま帰ってしまい、後で座長に酷い目にあわされるよりはとの責任感と優しさからでしたが、涙を流しながら折檻する兄弟子を前に、ついに小豆が覚醒します。

 

結果として張翁の屋敷での演技で成功した小豆と小石頭は、蝶衣と小楼と名乗り、京劇スターとしての道を歩き始めることになりました。

さらば、わが愛

役者として成功した蝶衣はまた、覇王役であり、兄弟子である小楼に執着します。

このことは同性愛的とも表現されますが、実際に蝶衣がこだわっているのは飽くまで小楼と京劇です。

舞台を降りてもなお、その関係は蝶衣の中では続いている。

一方、小楼にとっては舞台は舞台であり、家庭を持ち普段の生活があります。

いつまでも少年時代の劇団でのようにはいられません。

それは受け入れられるものではない。

 

邦題の「さらば、わが愛」はそんな蝶衣の想いと境地を表現したものなのかとなんとなく思っていましたが、そんな単純な話ではありませんでした。

 

清朝の終焉から中華民国時代、日中戦争を経て共産党の台頭、文化大革命と、激動の時代に翻弄されながらも懸命に生きた人々の大河ドラマです。

劇中に出てくる年号はどれも重要な出来事があった年ですね。

映画化にあたってチェン・カイコー監督は歴史背景をより強調して描いているようです。

 

1924 北京政変

1932 満州事変

1937 日中戦争

1945 終戦

1949 中華人民共和国成立

1966 文化大革命

(1977)  四人組追放後、文革終結宣言

 
特に文化大革命*5の描写は圧巻でした。

監督自身が体制側の紅衛兵*6として父親を糾弾した経験があり、映像に活かされています。

「ここまで汚された京劇は滅ぶしかない!」

蝶衣の悲痛な叫びが響きます。

ここまで丁寧に描いてきたのは全てこのシーンのためだったのかもしれません。

あとがき

3時間と長いですが、何度でも観たいと思える作品でした。

京劇というと華やかな衣装とアクロバティックな演技、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウが京劇出身という印象です。

この三人が共演した「プロジェクトA」は大好きです。

当初はジャッキーにもオファーがあったとか。小楼役かな?

 

監督はこの後、「花の生涯〜梅蘭芳〜」 で実在の名女形を題材にした作品を撮っていますがそちらも興味が出てきました。

同時代を描いたものとして、「ラストエンペラー」もおすすめです。

主役のジョン・ローンも京劇出身。

 

2019年春、Blue-rayが発売予定。

さらば、わが愛 覇王別姫 [Blu-ray]

  

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